誤解されやすいインクルーシブ教育。専門家に聞く「誰のため? 何を育むの?」
現在、中央教育審議会で検討されている次の「学習指導要領」において“多様性の包摂” が重要視されています。多様性の包摂、ここでいう「多様性」は何を指すのでしょうか。2023年にもインクルーシブ教育について伺ったノートルダム清心女子大学准教授/インクルーシブ教育研究センター長の青山新吾氏に、改めてインクルーシブ教育の最新事情をインタビュー。前編では、日本におけるインクルーシブ教育の現状とその価値についてお話を伺っていきます。
インクルーシブ教育は誰のため? 世界と日本の現在地
—— 2023年の取材の際、「ユネスコが定義する世界のインクルーシブ教育と日本のインクルーシブ教育とは相違がある」と教えていただいたのですが、現状はいかがでしょうか?
「ユネスコは、すべての子どもたちが共に学び参加できる教育システムを構築するプロセスだと定義しています。要するに、障がいなどの特定のマイノリティに限らず、ありとあらゆる子どもたちを包摂する教育システムに変えていくことがインクルーシブ教育の本質であり、その方法を模索したり取り組んだりするプロセスもインクルーシブ教育だと考えます。
一方、日本の学校などで取り入れられている文科省の“インクルーシブ教育システム”という概念は、特別支援教育と重複していて対象が限定的。“障がいのある子ども”と“障がいのない子ども”が可能なかぎり共に学びましょうという考え方ですね」
—— この2年で、日本のインクルーシブ教育に何か変化はありましたか?
「残念ながら大きな変化はなく、個人の興味関心に関する温度差が大きいと思います。ただ、制度面では大きな変化が見られます。先日発表された、次期学習指導要領改定に向けた教育課程部会の論点整理に関する資料で、その検討の基盤となる考え方のひとつとして“多様性の包摂”がしっかりと謳われています。“多様性の包摂” は、要するにインクルージョンと言えると思いますが、これまで文部科学省が提唱するコンセプトの重要な柱として、インクルージョンを謳うということはありませんでした。やはりこれからの共生社会の実現に向けて、多様な子どもたちの実態を踏まえて“包摂”を打ち出すということは、教育全体の方向性としてものすごく重要な要素であることは間違いないと思います。そういった意味では、日本のインクルーシブ教育にもポジティブな影響があると考えています」
出典:文部科学省 資料1 教育課程企画特別部会 論点整理
—— 次期学習指導要領で、「インクルーシブ教育」ではなく「多様性の包摂」という言葉が使われているのはなぜでしょうか?
「先ほど話したように文科省は(障害者の権利に関する条約第24条で)“インクルーシブ教育システム”という限定的な定義を使っているので、似たような用語を使うと混乱しますよね。そういった理由で、インクルーシブ教育という言葉をあえて使用しないのではと思います」
—— 日本のインクルーシブ教育システムは障がいのある子どもに限定されていましたが、次期学習指導要領ではあらゆる子どもを対象としており、ユネスコが定義するインクルーシブ教育の理念と整合性があるということでしょうか。
「そうですね。今回の議論では、特異な学習能力など何かに特化した能力を持つ子どもや不登校の子どもなど、さまざまな状況にある子どもがきちんと検討のテーマとして挙げられています。まさにインクルーシブ教育ですよね」
—— そこには、高い能力を持つ子も含まれるということですよね。これは日本のインクルーシブ教育の流れが変わりつつあるのではないでしょうか。
「おっしゃる通りだと思います。本来のインクルーシブ教育はマイノリティの子どもを含む、すべての子どもが自分らしく学ぶための教育ですが、日本ではその定義がはっきりしていなかったために現場や地域ごとに認識の差があり、特別支援教育を丁寧にやることがインクルーシブ教育だと勘違いされるケースも多々ありました。しかし、次期学習指導要領に向けた議論では、特別支援教育とは分けて整理され、教育の中核的な課題として多様性の包摂をしっかりと打ち出しているので、インクルーシブ教育の理解が進むのではないかと。ちょっと大袈裟かもしれませんが、将来、“令和の教育大改革”みたいな感じで残るんじゃないかと私は感じています」
—— この次期学習指導要領は、いつから実施されるのですか?
「学習指導要領(文部科学省が定める日本の学校教育における教科・科目・授業時間・指導内容などの基準)は大体 10年ごとに改訂されていて、次の学習指導要領は小学校だと2030年、中学校だと2031年と順次実施となる予定です。ただ、新しい学習指導要領が実施されるまで約5年もあるなんて悠長に考えてはいられません。今は議論を進めている段階ですが、かなりスピード感を持って動いている部分があるので、移行期となる3年の間に前倒しで施行されていくからです」
インクルーシブ教育が、自己肯定感と学びを育てる
—— 最近、自己肯定感が低い子どもが増えていると聞いたことがあります。みんなの枠からはみ出してしまっている、ありのままの自分を受け入れてもらえないといった劣等感や疎外感が自己肯定感にも影響しているのかなと思うのですが、インクルーシブ教育が自己肯定感の基盤に繋がることはないでしょうか。
「少し話が逸れるのですが、先ほどの次期学習指導要領の三本柱のひとつめに“主体的・対話的で深い学びの実装”というものがあります。これは、近年広がりつつある、子どもたちが自分に合った学び方を選べる複線型授業や、自分のペースに合わせて学べる自由進度学習などが該当するのですが、これは学びのプロセスを重視するインクルーシブ教育に通じるものです。
ただ、“学びの選択肢がある=インクルーシブ教育”というわけではありません。大切なことは、子どもたちが理解・尊重してもらえていると感じられること。例えば『みんなと同じようにできないからといっておかしな子だとか悪い子だとか思わなくていい』、『今はできなくても大丈夫』、『自分を大切にして自分のやり方でやってみたいと言ってもいいんだよ』といった肯定的なメッセージを伝えることで学びに参加しやすくなり、自己肯定感を育むきっかけにもなるのではないでしょうか」
—— 複線型授業や自由進度学習は、学習速度がゆっくりな子だけでなく、学習能力の高い子の探求・思考力の伸長にも貢献しそうですね。
「そうですね。できる子たちが今までの学習方法で能力を存分に伸ばせていたのかという視点で考えることも大切です。そもそも、全員が同じ内容を同じペースで同じ学び方で学べるはずがない。ある学生が卒業論文で『授業が始まってからどの場面で授業の目的が達成できたと感じるか』と子どもたちにアンケート調査したところ、数人が授業開始から5分だと回答していました。彼らにとって40分間が不要だったとも考えられます。そういった子どもたちも、今まで見落とされてきたマイノリティですよね。
インクルーシブ教育では他の子に合わせてうちの子まで制限されるんじゃないかと心配する親御さんもいるかもしれませんが、インクルーシブ教育を受ける事により、お子さんの才能がさらに引き延ばされる可能性も大いにあるとお伝えしたい。学びに選択肢を作ることで、学力だけでなく思考力や判断力もさらに身に付くはずです」
インクルーシブ教育とは、マイノリティだけでなくすべての子どもたちの人権を尊重し、包摂的な空間で共に学べるような教育を行っていくプロセスのこと。現在、急ピッチで議論が進んでいる次期学習指導要領の改訂が実施されることになれば、これまでの授業のあり方も多様になり、子どもたちの可能性もより広がっていくのではないでしょうか。後編ではインクルーシブ教育の実践のヒントを探ります。
PROFILE 青山新吾(あおやま・しんご)
1966年兵庫県生まれ。ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授、同大学インクルーシブ教育研究センター長。岡山県内公立小学校教諭、岡山県教育庁指導課、特別支援教育課指導主事を経て現職。中央教育審議会初等中等分科会教育課程部会特別支援教育ワーキンググループ委員。臨床心理士、臨床発達心理士。著書に青山氏が編集代表を務める『インクルーシブ教育ってどんな教育?』や岩瀬直樹氏との共同著書『インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと?』、『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(すべて学事出版)ほ
か多数。。
text by Uiko Kurihara(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock






