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Sports /競技を知る
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7種目完走の原動力はスタミナだけじゃない。パラノルディックスキー・源貴晴の背中を押し続けた見えないパワー
45歳のオールドルーキーは、イタリアの地でとてつもないタフガイぶりを見せつけた。エネルギー源は「諦めない気持ち」だった。
ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会、パラバイアスロンとパラクロスカントリースキーに出場した座位カテゴリーの源貴晴は、今回がパラリンピック初出場。全競技を通じて、日本勢最多の出場種目数となる個人種目6つと、リレー種目1つの合計7種目に出場した。
苦しいときに浮かんだ家族や仲間の顔
ミラノ・コルティナ大会最終日、現地3月15日に行われたパラクロスカントリースキー男子20km(座位)。自身最後の種目で源は、渾身の力を振り絞ってゴールにたどり着いた。タイムは1時間12秒1で21位。目標の15位以内には届かなかったが、表情はすっきりしていた。
「最後は本当に感謝の気持ちでした。両親に小さいときからスポーツをやらせてもらい、24歳のときにケガをしてからも、献身的に僕を支えてくれたおかげで、この舞台に立てました。ゴールをしたときには、本当にやり切ったというような感じと、とくに母親へ感謝の気持ちを持ってゴールできたと思います」
すべてを出し切った源は、言葉を噛みしめていた。

photo by Elettra Azzolin/OIS/IOC/AFLO
パラノルディックスキー競技の初日にあったパラバイアスロン男子7.5kmスプリント(座位)は、不安の多いスタートとなった。「すごく緊張してどうなるんだろうと思うほどだった」と振り返ったように、1回目の射撃で5発中5発ともすべて外すまさかの事態。1周100mのペナルティループを5周しらなければならず、「正直、あきらめかけた自分がいました」と言う。
けれども、そこで浮かんだのは支えてくれた人々の顔。
「この4年間は自分だけのものではありませんし、周りの人や家族、職場の人たちのことが頭に浮かんできました」と気持ちを切り替え、2回目の射撃は1発のミスにまとめた。
結果は24位。それでも、「短い時間で修正できたと思いますし、スタートでもゴールでも観客に見てもらえるので、世界選手権やワールドカップではないもので、よろこびと幸せを感じました」と率直な思いを語った。
子どもたちに見せたいガッツ
1980年5月、北海道北広島市生まれ。少年時代からサッカーに勤しみ、スポーツ強豪校である北海高校時代には、サッカー部で活躍した。
24歳のとき、転落事故で脊髄を損傷。両足に障がいが残った。一念発起してパラクロスカントリースキーを始めたのは2020年の40歳のときだった。2シーズン前からは、パラバイアスロンへの挑戦も始めた。
パラリンピックデビュー戦は悔しさが大きかったが、翌日は気持ちが切り替わっていた。初戦を終えて宿舎へ戻ったあとに、視覚障がいカテゴリーのガイドスキーヤーである藤田佑平ガイドから言われた「初出場なんだから、思い切って行った方がいい」という言葉が胸に刺さったのだという。

photo by AFLO SPORT
日本で応援する家族からのメッセージにも後押しされた。
「妻から、『普通に緊張していたんでしょう』とメッセージがきまして、『間違いなく緊張していたよ』と返しました」。苦笑いする表情からは、家族とのやりとりでリラックスできた様子がうかがえた。
そして、キリッと前を見てこう言った。
「僕自身はレースをしながら少しずつ上がっていくタイプですし、小さいときからサッカーなどいろいろなスポーツをやってきて、技術はないですけど、ガッツだけはあります。そういうところを全面的に出す大会にしたいです」
最後まで闘い抜く姿を見てもらいたい人々がいた。地元の北海道でさまざまなスポーツ指導をしてきた障がいのある子どもたち。そして自身の子どもたち。
「パラリンピックの様子を映像(YouTube、テレビ)や新聞、インターネットの記事など、いろんなところで見てくれているらしいので、挑戦する僕の背中を見て、何かを感じ取ってくれればうれしいです」
この言葉に思いが凝縮されていた。
全種目完走の次はメダルへの挑戦
現地3月14日のパラクロスカントリースキー4×2.5kmミックスリレーでは、第1走者を務めて7位で第2走者の岩本圭吾に引き継ぎ、8位入賞に貢献する喜びも味わった。大会の終盤はさすがに「疲労はあります」と言っていたが、「もともと体力はありますし、自分で自分を痛めつけるのが大好きなので」と威勢のよい言葉も飛び出していた。
そして迎えた最終日。出場種目で最も距離の長いパラクロスカントリースキー男子20kmで最後まで戦い抜いた。

photo by AFLO SPORT
全レースを終えた源はこう語った。
「自分で決めた7戦を滑り切ることができ、自分をほめたいと思います。でも、初出場でこれでよかったという気はさらさらありません。チャンスがあればメダルに絡めるような選手になってこの舞台に帰ってきたいです」
40歳のとき、勇気を持って踏み出した一歩が次の大きな目標へつながっていく。源は今、そのよろこびを感じている。
edited by TEAM A
text by Yumiko Yanai
key visual by REUTERS/AFLO






