日本財団パラリンピックサポートセンター

パラサポ 山本恵理、“i enjoy !”を地で行く生き方をして共生社会を根付かせたい!

パラサポ 山本恵理、“i enjoy !”を地で行く生き方をして共生社会を根付かせたい!
2019.05.29.WED 公開

複業ブームでふたつの軸足をもつ人が増える昨今ですが、パラリンピックに携わる人の中にもそんなパワフルな女性がいます。日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)の常勤職員として障がい者理解の事業を担当しつつ、パラ・パワーリフティング選手として東京2020パラリンピック出場を目指す山本恵理さん。「前編」では彼女が9歳で水泳を始めたいきさつから、32歳でパラサポスタッフとなるまでをお聞きしました。

<パラアスリートを支える女性たち Vol.06>
やまもと・えり(36歳)
公益財団法人 日本財団パラリンピックサポートセンター 推進戦略部プロジェクトリーダー
パラ・パワーリフティング選手


山本さんの業務は、パラスポーツを軸にダイバーシティを考え、学びや気づきを得るための障がい者理解教育・研修活動事業。15歳以上向けの「あすチャレ!Academy」や小・中学生向けの「あすチャレ!ジュニアアカデミー」の担当者として、セミナー開発から講師育成まで手がけます。ときには自身も壇上でマイクを握り、その明るくよく通る声で軽妙なトークを展開、参加者を笑いのうずに巻き込むことも。彼女がどのようにして現在の生き方にいきついたのか。話は今から27年前、山本さん小学3年生のある日の出来事までさかのぼります。


「ただ聞くだけって、面白くないですよね。“あすチャレ!Academy”はレクチャー、体験、グループワークの3本柱で“楽しんでもらえる参加型セミナー”を目指しています!」(山本さん)
©︎日本財団パラリンピックサポートセンター

水に入った瞬間の“あっ。自由だ!”と感じた衝撃と感動

━━9歳で水泳を始めたそうですが、実は水が苦手だったそうですね。

はい、大嫌いでした(笑)。ものごころついたときからお風呂は入れない、シャワーも嫌い、プールに行かなきゃならない夏が大っ嫌いで。母は昔から私に厳しい人で、水泳も母に勧められたんです。でもあとで聞いたら当時「将来この子が自分で身を守れないことってなんだろう」と考えたそうです。それで「水害が来たらきっとこの子は死んじゃう。そうだ、泳ぎを習わせよう」と。タウンページ一冊まるまるしらみつぶしに電話して、私を受け入れてくれる水泳教室探しをしてくれたんですね。

最終的に、母に家の近くの“障がい児のための水泳教室”に連れて行かれました。前日の夜に溺れる夢を見たほど心は拒否モード。いざプールに入るときも“もし溺れたらみんな諦めるに違いない”と考え、溺れようと水に潜ったんです。そうしたら体が自然とうつぶせになって足が浮き、手を回したら勝手に泳ぎ始めたんですよ! 陸よりも何百倍も自由を得たと思った瞬間、“私、これならいける!”と。自分は何をやってもほかの人よりダメだと思って生きてきたのが、初めて同じリングに上がった思いがしました。

私はそれまで、友達に“ありがとう”を言うことができない子だったんですよ。なんでいつも私ばかり助けられて、お礼を言わなきゃいけないんだろうと思っていたから。私だってありがとうと言われたいけど、得意なことがないから人に何もしてあげられない。でも自分にも得意なことがやっとできた。いつか私も人にありがとうって言われるものができるかもしれないと、そんなふうに思える分岐点となった大きな出来事でした。

実はコーチから“海外にタダで行けるよ”と言われてパラリンピックを目指したという山本さん(写真左)。27歳でカナダ留学した際にはアイススレッジホッケー選手としても活躍(写真右・中央の列のいちばん左)。※写真は本人提供

思いがけない出来事から心理学に関心をもつ

その後高校まで、私は密かに水泳でパラリンピックに出たいと思っていました。でも高2で足に低温やけどをして長期入院。記録がどんどん伸びていた矢先の療養生活に先が見えなくなって、競技の道を断念。ところがそれでものすごく落ち込んだかというと、思わぬきっかけで入院中に新しい目標を見つけることができたんです。

年上世代の患者さんグループと親しくなり、毎晩トランプの大富豪をしてわいわいやっていたんですが、そんな私に下半身不随になったある男性患者さんが言うんです。 「恵理ちゃんな、もうちょっとしたら僕は死のうと思ってた。もう足も動かないし絶望していたんだけど、もともと障がいのあるあなたがこんなに明るく生きてるのを見て、“ああ、違う人生がある”と思えたんだ」
と。びっくりしました。

ちょうどそのころ『パッチ・アダムス』という、笑いで人を元気にする映画を見たのですが、映画と言われた言葉がリンクして“私がやらなければいけないのはこれかもしれない”と。大学に行って心理学を学ぼうと思いついたんです。

大学4年間は心理学一辺倒。どうやったら人がポジティブになり、明るい未来が開けるかを一生懸命考えました。このまま研究者になろうと大学院進学を検討していたところ、日本身体障がい者水泳連盟の常務理事でもある桜井コーチから「メンタルトレーナーにならないか」と電話をいただいたんです。「選手ではないけれど、今度は支える立場になってパラリンピックに行け」と、大学院進学の背中を押してもらいました。

“もっと人生を楽しみたい”願いがパラサポに導かれた

「カナダ留学時代は、2012年のロンドンパラリンピックにパラ水泳日本代表のイギリス直前合宿通訳として帯同しました。大会期間中ジャパンハウスで働けたのもいい経験でした」(山本さん)

━━プロフィールを拝見すると、日本とカナダの2つの大学院で学んだこの時期に、その後の人生につながる大きな経験をたくさんされたようですね。

そうなんです。大学院時代に実際にパラ水泳日本代表選手のメンタルトレーナーを任せてもらったのですが、学校で習う知識は当然ながら全て健常者の選手向け。パラアスリートにはもっと違うものが必要なんだと、OJTをしながら気づくような毎日でした。また2008年に念願の北京パラリンピック帯同が決まった際にはプレッシャーのあまり急性胃腸炎で倒れたり、現地に着いたら着いたで、英語ができなさすぎて自分の役立たず状態に自己嫌悪。大会終了後、スタッフ全員に「ごめんなさい」とおわびの手紙を渡しました。

このままパラ水泳に携っていてもいいものかと思い、大学院修了のその年に、学び直しのためにカナダの大学院に留学しました。そこで学んだのは、世界有数の移民大国ならではの懐深い多文化共生社会のリアルでした。宗教も肌の色も言葉も違うのに、みんな英語をしゃべってお互いを思いながらひとつの国をつくっているってすごいなと。カリキュラムで障がい者スポーツを専攻する学部生への指導も経験できて、そのことも自分の大きな成長につながりました。

だからでしょうか。東京2020大会が決まって桜井コーチから「日本にもパラリンピックの仕事ができる場が整った」と連絡をもらったとき、大学院はまだ終わっていなかったけれど、迷わず“帰国しよう”と思えたんです。秋に帰国して11月には日本財団パラリンピックサポートセンターに入職しました。そして初めてオフィスに入ったときに壁面にディスプレイされたスローガンの「i enjoy !(楽しむ人は強い)」の文字を見て、すごくいいところに導いてもらえたなと思いました。「i enjoy !」は、私自身が常に考えてきたことで、その後私の座右の銘にもなった言葉だったからです。

「フリーアドレスなので好きな席に座っています。いつもにぎやかで笑いの絶えない現場です」(山本さん)
「書類整理に欠かせないのがクリアファイル。“うそやん!”“ほんまに?”と日本語で書かれている上や裏面に、英訳が書いてあるんですよ。思わず笑っちゃいますよね。お笑い好きなのでこういうのに目がないんです(笑)」(山本さん)

後編に続く

text by Mayumi Tanihata
photo by Yuki Maita(NOSTY)

パラサポ 山本恵理、“i enjoy !”を地で行く生き方をして共生社会を根付かせたい!

『パラサポ 山本恵理、“i enjoy !”を地で行く生き方をして共生社会を根付かせたい!』