ともに北海道出身の元サッカー選手! 車いすバスケットボール日本代表ヘッドコーチとブラインドフットボール日本代表監督が語る青春時代

ともに北海道出身の元サッカー選手! 車いすバスケットボール日本代表ヘッドコーチとブラインドフットボール日本代表監督が語る青春時代
2025.10.03.FRI 公開

元Jリーガーで車いすバスケットボール男子日本代表の京谷和幸ヘッドコーチと、北海道1部のサッカープレーヤーだったブラインドフットボール(ブラインドサッカー)男子日本代表の中川英治監督は、ともに北海道出身。住む地域も高校も比較的近く、共通の思い出も多い。楽しくもちょっぴりほろ苦い青春時代を振り返った。(以下、敬称略)

京谷 和幸|車いすバスケットボール男子日本代表HC
1971年生まれ、北海道室蘭市出身。アナリストに試合分析をしてもらっていて、かなり細かいデータを出しているが、数字にとらわれないようにしている。「チームとしての方向性が合っているか示すために使っています」


中川 英治 | ブラインドフットボール男子日本代表監督
1974年生まれ、北海道新ひだか町(旧静内町)出身。前監督時代から、スポーツ用GPSで試合中の選手のパフォーマンスをトラッキング。走行距離や心拍などを選手交代の一つの指標として使用している。「デバイスも進化していますし、精査してほしい指標も絞れているので、今は僕とフィジカルコーチの2人で運用しています」


母校サッカー部同士が激突

高校卒業後Jリーガーとなった京谷は、高校時代にはすでに北海道でよく知られた存在だった。京谷の出身地である室蘭市と同じく道南エリアにある新ひだか町(旧静内町)に住んでいた中川も懐かしそうに振り返る。

中川英治(以下、中川):京谷さんは僕の3学年上なんです。僕が中学生のとき京谷さんは高校生で大スター。京谷さん、高校は室蘭大谷高に行ったわけじゃないですか。

京谷和幸(以下、京谷):はい。

中川:僕が中学校のときに北海道でインターハイがあったのですが、その北海道予選で僕の地元の静内高が室蘭大谷高に勝ったんですよ。

京谷:あの敗戦は僕もいまだに覚えていますよ。

中川:京谷さんは、もちろんあの試合にも出ていて、プレーを見たことをいまだに覚えています。スーパースターでしたよ、本当に。

京谷:坊主頭でね。

中川:そうです。ピチピチの短パンで。

京谷:Champion(チャンピオン)のユニフォーム着ててね。

中川:白地で胸に「大谷」って書いてありましたよね。かっこよかったです。

京谷:たしか、シュート数28対1ぐらいでしたよね。コーナーキックで1本バンとやられて、負けちゃった。

中川:そうでしたね。僕はもともと室蘭大谷高に行きたかったんですけど、あの試合を見て感動しちゃって、「静内高に行って、もう一回室蘭大谷に勝とう」なんて仲間内で盛り上がって。で、静内高に進学したのですが、これが間違いだった(笑)。結局1回も勝てなかったですからね、僕ら。

京谷:高校3年間の全国大会は、インターハイと国体と選手権で計9回あるんですけど、1回だけ全国に行けなかった。それがあのインターハイだったんです。しかもサッカーは地元・室蘭での開催だったのに。

中川:室蘭の入江運動公園に競技場をつくって、そこでインターハイが開催されたんですよね。

京谷:あの敗戦後の夏の合宿はまさに地獄。本当にしんどかったです(笑)

中川は2015年11月からヘッドコーチに就任し、2021年の東京2020パラリンピックではゴール裏のガイド(写真黄色いビブス)として5位入賞に貢献。2022年1月から男子日本代表監督に
photo by X-1

冬は靴下2枚を重ねて……

北国のサッカー部の冬の練習と聞いてすぐに思い浮かぶのは、青森山田高校の雪中トレーニングだろう。京谷と中川の時代はどうしていたのか。

中川:冬は練習のための雪かきなんてほとんどやらなかったですし、外でサッカーなんてできませんでしたよね。

京谷:雪かきして練習できるのは、人工芝のグラウンドだけ。人工芝なんて本当に最近のことで、僕たちの時代は土ですよ。ちょっとグラウンドをならして、セットプレーの練習をすることもあったけど、基本的に冬は体力づくりのシーズン。クロスカントリーとして雪道を走ったり、校舎の1階から3階まで上がったり下がったりしながらぐるぐる走ったり。

中川:僕らも同じです。ボールを蹴るのは、ほかの部活が終わったあとや早朝の体育館で。雪中を走るときは……。

中川京谷普通の靴。

京谷:ソックスを2枚重ねにして、(ソックスとソックスの)間に。

中川:スーパーのポリ袋を入れたりしてね。

京谷:おんなじことやってる(笑)

中川:今の東京でも年に1回か2回、大雪が降るじゃないですか。雪かきのとき、僕は今も長靴の中にコンビニの袋を入れて履くんです。それを見てほかのスタッフたちが「え、何やってんの?」って言うんですけど、「これ、普通だぞ」って。

京谷:試合事情も今とだいぶ違いますよね。試合の機会が少なくて、練習試合もお隣にあった登別大谷高とするぐらい。あとは、春は静岡県清水、夏は新潟でそれぞれフェスティバル(強化試合)に出たり。

中川:僕らも札幌のフェスティバルに行ったりしていました。室蘭大谷高のAチームが東京に行っている間に、Bチームと試合したこともありましたよ。移動手段は基本バスで、どこに行くにも2時間から2時間半かかっていましたね。

同郷の2人は、お互いが現在携わっている競技にも興味津々だ。

京谷:ブラインドフットボールは画面では何度も見てきたのですが、生で見たの初めてで。「絶対見えてるでしょ」と思いました。正直、もう少しモタモタするのかなと思っていたんですよ。ところが、全然! ピタッと足元に収めるし、前に行ったボールもしっかり処理するし、シュートまでちゃんと行くし。ディフェンスの選手なんて、ちゃんとバックパスしてて、うまいなって。

取材当日、生で初めてブラインドフットボールを見た京谷

中川:選手はそう言われると、一番うれしいと思います。

京谷:僕にとって、障がいで何が一番怖いかというと、視覚を奪われることだと思っているんです。目で情報を集められないわけですから。なのに、いとも簡単にサッカーをする彼らのメンタリティはすごいですよ。

中川:僕、アイマスクしてグラウンドに立ったことがほとんどないんですよ。ちょっと遊びでとは思うんですけど、怖くて壁から離れられないんです。試合になると、選手に「アプローチ行け!」とかコーチングするんですけど、僕、できないです(笑)

京谷:そういう恐怖心の中、よくこれだけのことできるなって。

中川:選手に「なんでこの競技やってるの?」って聞いたことがあるんです。そうしたら、「このグランドの中は自由に走れるから」って。生活だといろいろと制約あるじゃないですか、道路は危ないとか。

京谷:この練習場にも慣れているんでしょうね。

中川:練習場と最寄りのバス停との行き来でもパーっと移動してますよ。
ところで、僕は車いすバスケットボール女子日本代表の次世代カテゴリーの練習に参加させてもらったことがあるんです。間近でスキルを見せてもらいましたが、車いすを操作しながらボールを扱っててすごかったなあ。

京谷:男子はもっと強烈ですよ。8月にドイツで行われた「ネーションズカップ」で世界の強豪と戦ってきたんですけど、世界はでかくて、重くて、フィジカルコンタクトも強い。でもアジリティやコンタクトされても外す技術など、ずっと取り組んできたトレーニングの成果が出て、3位という今までで一番いい成績で帰ってこられました。ぜひ男子も見にきてください。

中川:はい! ぜひぜひ。練習場所はどこですか。

京谷:NTC(ナショナルトレーニングセンター)でよくやってるんですけど。来られることあります?

中川:たまに行きます。

京谷:タイミングが合えば、いつでも来てくださいね。

text by TEAM A
photo by Hiroaki Yoda

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