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村岡桃佳(アルペンスキー)・女子アスリートPHOTO GALLERY BEST SHOOT

村岡桃佳(アルペンスキー)・女子アスリートPHOTO GALLERY BEST SHOOT
2019.03.01.FRI 公開

HOSONO SHINJI
LADY GO!
女子アスリートPHOTO GALLERY
BEST SHOOT

VOL.2 村岡桃佳(アルペンスキー)

撮影/細野晋司
ヘア&メイク 清水恵美子(maroonbrand)

パラスポーツの“今”をお届けするスペシャルムック『パラリンピックジャンプ』(「週刊ヤングジャンプ」と「Sportiva」が共同編集/協力:パラサポ)のVOL.2発刊記念スペシャルコンテンツを、パラサポWEBマガジンで配信します。


息を詰めて観ている時だった。

――――転倒!

その瞬間、彼女の眼差しは次のゲートに向けられていた。
平昌パラリンピックを通して一番心に残るシーンとなった。
スローモションの様な感覚から解き放たれ無心で滑り抜けた快感とは、どれほどのものなのか?

直接話を聞けるチャンスだったが、桃佳ちゃんの鋭い眼光に魅せられ、時折見せてくれる笑顔に包まれたら、結局何も聞くこともなく、あっという間に撮影は終わってしまった。

しかし、桃佳ちゃんは、ファインダーを通して教えてくれていた。
無心とは、目指すものではなく、いつか、いつの間にか訪れる。
前進するという苦しみを一歩、一歩乗り越えてきた分だけ。

ありがとう、そしていつ何時でも悠々と最高のパフォーマンスを出せるよう願っています。

次は輝く白銀の世界で会いましよう!

細野晋司

細野晋司 SHINJI HOSONO
1963年生まれ、岐阜県揖斐川町出身。
http://www.hosonoshinji.com

アルペンスキー

立位、座位、視覚障がいの3カテゴリーで競技が行われる。選手には障がいの程度に応じた係数が設定され、実走タイムにその係数を掛けた計算タイムで順位を決める。高速系種目のダウンヒルとスーパーG、技術系種目のジャイアントスラロームとスラローム、スーパーGとスラロームを1本ずつ滑って合計タイムを競うスーパーコンビの5種目がある。

村岡桃佳インタビュー
2018年3月9日、平昌パラリンピック開会式――。
5競技に38名の選手が参加した日本選手団の先頭を、旗手として笑顔で行進する村岡桃佳の姿があった。

「最初に旗手の打診をいただいたときは候補の一人ということだったので、まぁないだろうなって思いながらお返事したんですよ(笑)。フランス遠征中にインターネットで公式発表を見て、初めて決まったことを知りました。びっくりしました。開会式では入場の直前に強い風が吹いて、車いすに着けた日の丸がぶわっとたなびいたシーンが印象に残っています。レースとはまた違った昂りと緊張がありましたね」

素晴らしい経験をさせていただいたと振り返る桃佳だが、旗手という大役は大きなプレッシャーにもなっていた。

「旗手をやったから集中できなかった、メダルを獲れなかったというのは言い訳にならない。自分にとっての最高のレースをしてメダルを2~3個、最低でも1個は獲らないといけないと思っていました。でも、1月~2月に転戦したヨーロッパの天候が悪くて高速系のレースがまったくできなかったんです。高速系でのメダルを狙っていましたから、内心ではすごく焦っていました」

アルペンスキーには高速系と技術系の2つの種目がある。欧米のトップ選手に比べて体重の軽い桃佳は、距離が短くターンが多い技術系種目は不利になる。そのため長い距離をトップスピードで勝負できる高速系種目をターゲットにしたが、平昌前に滑ることができた実戦はわずか1レース――。

不安を抱きながら桃佳は翌日のレース初日を迎えた。高速系のダウンヒルは失敗の許されない1本勝負。しかし桃佳は、スタートを飛び出した瞬間から超難関コースを果敢に攻め続けて、自身にとって初めての、そして平昌での日本選手団最初のメダルとなる銀メダルを獲得した。

「最後まで攻めなきゃ勝てない、メダルは獲れないと考えていました。普段はけっこう弱気な方なんですけど、今回は強い気持ちを持ち続けて滑り切ろうと。4年前のソチ大会では、パラリンピック独特の雰囲気に飲み込まれて自分のレースができませんでした。あのときの悔しい経験があったから、攻め続けなきゃまた負けるぞって思えたんでしょうね。選手団の旗手という大役を務めたからには絶対にメダルを獲らなきゃいけないって、自分自身をすごく追い込んでいたんです。そのメダルが不安だった高速系の最初の種目で獲れたから、ホッとしました」

その後のレースでも桃佳は、攻めて攻めて、攻めまくった。3月11日のスーパーGで銅メダル、13日のスーパーコンビでも銅メダルを獲得。そして14日のジャイアントスラロームでは、1本目1位、2本目2位と好タイムを揃えて優勝。「自分でも思っていなかった」という初めての金メダルを獲得した。

桃佳自身が平昌で一番印象に残ったと振り返ったのは、最終日18日のスラローム。最後まであきらめずに攻め続ける気持ちが伝わるレースだった。1本目で2位の好タイムを出した桃佳は、勝負の2本目のコース序盤で予想以上に荒れた雪面にスキーを取られて転倒してしまう。

「転んだ瞬間、あ~私の平昌パラが終わっちゃったと思いました。そこまで4つのメダルを獲っていたし、金メダルも獲れたし、もうこれでいいんじゃないかという気持ちも頭をよぎりました。それで早くコースの外に出なきゃと起き上がったら、次のゲートが見えたんです。真横にトラバースしたらあのゲートにギリギリ入れるなって。その瞬間に、『転んで平昌を終わらせてたまるか、メダルは無理だろうけど、ちゃんと自分らしく滑ってゴールして笑顔で平昌を終わろう』って思い直すことができたんですね。そこから先は無我夢中でした。1回転んでいるから2回も3回も一緒だって、何も考えずに攻めまくりました。今思えば、あんなに楽しく滑れたのは平昌ではあのレースだけでしたね。ゴールした後は、どこまで順位が落ちたのかが怖くて、すぐには電光掲示板を見られなかったですけど(笑)」

関係者も観客も全員が固唾をのんで見守る中、電光掲示板に表示された順位は2位。すべての種目でのメダル獲得となる5つ目のメダルが決まると、会場からは大きな歓声が沸き上がった。

「いつも男子チェアスキーの先輩方からは『桃佳は練習通りの滑りがレースでできれば何個でもメダルが獲れるのに、なんでその滑りをしないんだ?』って言われていたんです。でも自分では『いや、しないんじゃなくて、できないんだよ!』って思ってたんですね(笑)。でも、平昌を通して、何かその壁を乗り越えられたんじゃないかという気がします。平昌で初めてパラリンピックの表彰台に上がって、感動したんです。でも、ジャイアントスラロームで優勝して上がった表彰台の真ん中は、さらに特別な景色が見えました。言葉にできないような感覚で、またここに上がって君が代を聴きたいと思いました。自分の理想を100とすると、今はまだ20~30くらいかな……。まだ、いつでも、どのレースでも自分の滑りができるような選手にはなれていないですから。今回の5個のメダルという結果は自分では出来過ぎ、ラッキーだったと思っています。もっと練習して、もっと強い選手になりたいと思います」

桃佳は、スキーに専念するまでは、子どもの頃から、陸上競技や車いすバスケ、車いすテニスなど、いろいろなパラスポーツにもチャレンジしてきた。2020年東京パラリンピックの成功と、選手たちの活躍をとても楽しみにしていると話してくれた。

「平昌パラは、たくさんの人が現地まで応援に来てくれて、その大声援が私に大きな力を与えてくれました。
東京パラリンピックでも多くの観客のみなさんが会場で応援してくれたら、それが日本選手の背中を押すパワーになると思います。また、日本のみなさんには東京パラリンピックをきっかけに、いろいろな障がいの人がいていろいろなパラスポーツに取り組んでいることを知ってもらいたいし、パラスポーツの魅力を感じてほしいと思います。スキーの私が出場できないのは残念ですが(笑)、東京パラリンピックの成功を応援しています!」

 

<村岡桃佳:MURAOKA MOMOKA>
1997年3月3日生まれ、埼玉県出身。
[所属]早稲田大学
[クラス]LW10-2
横断性脊髄炎により4歳で車いすに。小学生でスキーを始め、17歳で初出場した2014年ソチパラリンピックではジャイアントスラロームで5位入賞。2018年平昌パラリンピックでは出場した全種目でメダルを獲得した。

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photo by SHINJI HOSONO

※本記事は『パラリンピックジャンプ』編集部協力のもと掲載しています。

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