テコンドー初のパラリンピアン・田中光哉は闘いながら競技を広める

テコンドー初のパラリンピアン・田中光哉は闘いながら競技を広める
2021.09.03.FRI 公開

「実力が足りなかった。たくさん伸ばすところがある」

パラリンピックとして初のテコンドー競技が行われた9月2日、出場した田中光哉はそう言って涙をこらえた。

甘くはない、ボコボコにされた初練習

田中の長所は、相手によって闘い方を変えられるクレバーさ。攻撃できる箇所が胴部に限られるパラテコンドーでは、相手のガードをいかにあけさせて自身の蹴りを当てるかという戦略が重要な要素となる。言葉を変えれば、「いかに相手の裏をかき、弱い所を突くか」。田中はそうした駆け引きに長けている。インタビューで爽やかに笑いながら「性格悪いんで」と言っていた笑顔が思い起こされる。

テコンドーを始めた理由は「東京パラリンピックに出るため」。以前、東京都障害者スポーツ協会に勤めていた田中は、選手発掘事業に携わりながら「自分も選手として取り組みたい」という気持ちが抑え切れなくなり、競技者の道へ。さまざまな競技を知る立場であっただけに、取り組む競技を選ぶ際も、自身が東京パラリンピックに出場できる可能性の高さが基準だった。少年時代から、長くサッカーをやっていたこと、そして競技人口が少ないことからテコンドーを選ぶ。

だが、テコンドーがそんな甘い競技でないことは、すぐに身を持って痛感することになる。初めての組み手練習で、「こんなにやるのか? というくらいボコボコにされた」というほど、格闘競技の厳しさを思い知らされたのだ。その後、大会にも出場するようになるが、なかなか良い結果が出せない時期が続いた。

週6日、館長が朝昼夕の練習に付き合ってくれた

転機となったのは、それまでの75kg級から61kg級に階級を落としたこと。もともと通常の体重が66~68kgだったため、体重の管理がこれまでの増量から減量に変わったことで、スピードが増した。同時期に戦略家として知られるコーチとも出会い、その才能が花開く。

2020年1月の代表選考大会では、キャリアの長い強豪選手を相手に、緻密な戦略を武器に連勝。見事に代表の座を射止めた。しかし、その直後に東京大会は1年の延期が決まる。本番に向けて集中していた段階での決定だっただけに「気持ちが持つかな?」との思いもよぎった。

そんなとき、所属道場の館長が田中に声をかけてくれた。感染症対策のための自粛期間中、週6日、マンツーマンの練習に付き合ってくれたのだ。朝昼夕の3回、2時間ずつ基礎をひたすら繰り返す練習は普段よりもきつかったが、その経験が本番への自信を深いものにしてくれた。

初戦敗退も金メダリストと対戦できた財産

東京2020パラリンピックからの新競技・テコンドーの初日に登場した日本代表の田中

初めてのパラリンピックということもあり、初戦は想像以上に緊張したという。「自分の距離をつかみそこなった」と田中が語るように、リーチでは勝るものの自分のペースがつかめず、ナタン セザル・ソダリオ トルクワト(ブラジル)に次々にポイントを奪われ、24-58で敗れた。得意の駆け引きを展開する前に、大きく点差を離されてしまう展開だった。

敗因について田中は「スピードとスキルの差」と語った。実際、相手の選手は小柄な体ながら、スピードとキレのある動きでこの後も勝ち進み、金メダルを獲得している。世界トップレベルの選手との試合を経験できたことは、今後の競技人生においても大きな収穫となっただろう。

敗者復活1回戦で見せた得意な試合展開

ただ、東京パラリンピックをこのままで終われない。2試合目となる敗者復活1回戦では、戦略家としての田中の片鱗が感じられた。本大会は片腕の機能障がいや欠損のK44クラスとの統合で行われたが、田中は一つ障がいの重い両上肢欠損のK43クラスに当たる選手。右腕のほうが左腕よりもだいぶ短いのだが、あえてその右腕を前に構える。

多くの選手がディフェンスのために長い腕を前に構える中、なぜそのようなスタイルをとるのか。その理由を田中自身は、「得意な右前足のカットと呼ばれる蹴りを活かすため」と語る。だが、試合展開を見ていると、あえてスキを作って相手の攻撃を誘い、カウンターで蹴りを狙っているようにも感じられた。

この試合、田中は前に出てくる相手を前足の蹴りで止め、後ろ足の回し蹴りを決めて先制。自分が蹴った後には体を寄せて相手の蹴りを防ぎ、回し蹴りに対して体をズラすことでポイントを奪われないような巧みさも見せた。しかし、第2ラウンド途中まで許していたリードは大きく、田中は第2ラウンド後半、第3ラウンドと得意なカウンターを武器に追い上げるものの、15-20で敗れて東京大会を終えた。

競技歴の短い田中はこの1年で大きく成長を遂げた

「障がいがあっても格闘技ができる」

約2年間、国際大会がなかったことによる影響を問われた田中だが、普段から健常者の選手と組み手練習をしているため、勘が鈍っているとは思わなかったという。相手の実力を素直に認めた形だ。今大会では世界各国の選手たちの動きを間近で見られたことで、「まだまだ勉強することがある」と、大きな糧となったようだ。

最初は競技人口の少なさに目を付けて始めたテコンドー。田中は、多くのパラ競技を知る立場から、テコンドーの魅力についてこう語った。

「パラ競技の中でも一番激しくて力強さが感じられるはず。闘う姿を見て、障がいがあっても格闘技ができることを知ってもらえたら」

多くの人に競技を知ってもらうために必要なのは、何より自分が勝つことだ。この競技で日本人初のパラリンピアンとなり、競技を引っ張る役割も担っていく田中は、言葉に力を込めて言った。

「もっと強くなれると自分を信じている」

edited by TEAM A
text by Shigeki Masutani
photo by Jun Tsukida

テコンドー初のパラリンピアン・田中光哉は闘いながら競技を広める

『テコンドー初のパラリンピアン・田中光哉は闘いながら競技を広める』