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【東京2020大会から5年】車いすテニス・国枝慎吾が明かす「人生をかけた大会」と「いま夢中なスポーツ」
8月24日、東京2020パラリンピック開幕から5年を迎えた。自国開催のパラリンピックで車いすテニス男子シングルス金メダルを獲得した国枝慎吾さんに、改めて東京大会開催の意義とその後の変化を聞いた。
試合の内容まで言及された初めての大会
日本代表選手団主将として臨んだ東京大会は、今振り返っても「ダントツ」に印象に残っている大会だったと国枝さんは振り返る。
国枝慎吾さん(以下、国枝): あれから5年経つんですね。自国開催のパラリンピックに出場するには、運も実力も必要ですし、すべてのタイミングがかみ合わないと実現しません。だからこそ、2013年に東京パラリンピックが開催されることが決まったときは本当にうれしかったですし、あのときから東京で金メダルを獲ることが競技人生最大の目標になりました。

ところが、国枝さんは古傷の右ひじの故障に苦しみ、男子シングルスでベスト8に終わったリオ2016パラリンピック後、ラケットの握り方を変えるなど一からプレーを見直したことで復活。東京大会で金メダルを獲得した。
国枝: やはり自国開催の大会はすごいなと感じたのは、寄せられる声の内容の違いです。それまでのパラリンピックやグランドスラムでも、基本的にはニュースなどで結果を知った方から「おめでとう」と声をかけていただいていました。ところが東京大会直後は、「あの場面、すごかったね」と具体的な試合内容を交えながら感想を伝えてくださる方がすごく多くて驚きました。無観客ではありましたが、多くの方がテレビやインターネットの向こうで試合を観てくれていたんだと実感できた出来事でした。
もちろん、有観客に越したことはありません。実際、現地に赴いたパリ2024パラリンピックでは有観客のすごさを現地で目の当たりにして、ジェラシーも感じました(笑)。でも、東京大会は中止になってもおかしくない状況だったにもかかわらず、多くの方が開催のために尽力してくださいましたし、そのおかげであの舞台でプレーできました。東京大会後にウィンブルドンで優勝したことで、生涯ゴールデンスラムも達成したのですが、気持ちは東京大会で引退していました。逆に言えば、東京大会で金メダルを獲っていなかったら、いまでも現役でプレーしていたかもしれません。それぐらい東京大会でやり切りましたし、だからこそ、いま改めて振り返っても、開催していただいたことへの感謝の思いが強いです。

リスキリングで渡米し、ジュニア指導にチャレンジ
2023年1月に現役を引退。2024年1月にアメリカにわたり、2025年9月半ばまでの約1年9ヵ月間、英語を学びながらジュニア選手の指導に携わった。
国枝: 英語は現役時代からいつか学び直したいと思っていました。どうせなら指導者の勉強もしようと、全米テニス協会(USTA)でジュニア選手の指導をさせてもらうことにしました。いわゆるリスキリングです。
引退前から上地結衣選手をはじめ日本のトップクラスの選手への指導は行っていたので、なんとかなるかなと思っていたのですが、ジュニア選手となると勝手が違いました。自分とは競技レベルもですが、身体も障がいも競技意識も違います。どこまで強く言うべきか迷う瞬間も多々ありましたし、ニュアンスを伝えたくても自分の英語力ではどうしようもないこともあって、歯がゆい思いもしました。結局どうすべきだったか、最後まで答えが見つからないまま仕事を終えて帰国しました。
とはいえ、今でも連絡を取り合っている教え子がいるんですよ。時々プレービデオを観てフィードバックしたりしているのですが、明らかに上達していて、うれしいですし、僕がかかわった選手たちがこれからどんな活躍を見せてくれるのか楽しみです。

思いがけず“火がついた”車いすバスケットボール
最近国枝さんがハマっているというのが、車いすバスケットボールだ。
国枝: 僕はもともとバスケットボールのマンガ『SLAM DUNK』にハマっていた“スラダン”世代。車いす生活になった小学4年生から中学3年生頃までほぼ毎日、友だちとバスケットボールをしていましたし、現役時代もトレーニングの一環として車いすバスケットボールのクラブチームの練習に参加したこともありました。その頃の縁が続いていることもあって、帰国後、仲間たちと車いすバスケットボールを楽しむようになりました。
個人と団体という違いはあれど、同じ車いす競技。お手のものかと思いきや、「面白いけど難しい」と苦笑する。
国枝: とくにチェアワークはもう少し車いすテニスのものが使えると思っていたのですが、実際にやってみると、真逆でした。車いすテニスは「8」の字のように動き続けることが大事なのですが、バスケはストップ&ゴーですから。今春、車いすバスケットボール元日本代表の神保康広さんを中心に仲間たちでチームを立ち上げて練習しているのですが、チームメートから「慎吾さん、ターンができてないです」って指摘されています(笑)
初心者ということもあって、チーム内ではとにかくシュートを打つことを求められているのですが、そもそもシュートをどこで打つかというポジショニングが難しいんです。先日、パラリンピック5大会出場の藤本怜央選手に聞いたところ、すごくわかりやすく説明してくれて、なるほどなあと。

遊びのつもりで始めたものの、天皇杯予選に出場したことでアスリート魂に火がついたようだ。
国枝: とにかくシュートがうまくなりたいので、YouTubeでバスケットボール男子日本代表の富永啓生選手(レバンガ北海道)のシュート動画を観て研究したり、一人で自主練したりしています。練習場所の体育館の空き状況は、こまめにホームページでチェックしていて、空いていたら電話して「行っていいですか?」と聞いて。そこで3時間ぐらい、ひたすらシュートを打っていますね。
こうして自身が車いすバスケットボールを楽しめているのも、東京大会以降、パラスポーツを取り巻く環境が改善したことが大きいと分析する。

国枝: 車いすバスケットボールは銀メダルを獲ったことで根強いファンを獲得しましたし、僕が車いすバスケットボールに興味を持った30年前に比べると全国各地にチームが広がりましたよね。また、車いすテニスも有明テニスの森公園テニス施設が車いすテニスのナショナルトレーニングセンター競技別強化拠点施設になったのをはじめ練習施設が増えています。どちらも以前に比べるとプレーしやすくなっていると思います。
ただ、パラスポーツの多様化で、競技ごとの人口が減っているのは悩ましいところです。車いすテニスでは障がいの状態のいい人も増えているため、今後はクラス分けの見直しが必要になるのではと思ったりもしています。
昨年から外部アドバイザーとして日本車いすテニス協会の活動に携わるようになりましたし、選手個人の指導も続けているので、引き続きテニス人としてできることをしていきます。
東京大会以降、小田凱人や上地結衣の生涯ゴールデンスラム達成をはじめとしたパラスポーツの話題がニュースなどで報じられる機会や、大会や競技によって試合会場に足を運ぶ人が増えた。これもパラアスリートたちが人生をかけて東京大会に挑んだからこそだろう。

text by TEAM A
photo by Hiroaki Yoda






