その不調、運動のしすぎかも? アスリートを襲うオーバートレーニング症候群とは

その不調、運動のしすぎかも? アスリートを襲うオーバートレーニング症候群とは
2023.07.12.WED 公開

オーバートレーニング症候群という言葉をご存じだろうか? サッカーワールドカップのカタール大会で日本代表の守護神として活躍した権田修一選手をはじめ、陸上競技や柔道のメダリストなどのトップアスリートが、時には引退を考えるほどの症状を引き起こすこともあるという病。スポーツに真剣に取り組んでいる人や指導者に、ぜひ知っておいてほしいこの症候群について、早稲田大学スポーツ科学学術院の鳥居俊教授にお話を伺った。

アスリートを悩ませるオーバートレーニング症候群とは?

オーバートレーニング症候群とはその名の通り、過度なトレーニングにより、体にさまざまな不調をきたす症候群のことを言う。

「オーバートレーニング症候群は研究の途中でもあり、その定義はまだ一定したものではありませんが、長期間にわたってトレーニングによる疲労と回復のバランスが崩れた状態が続き、疲労が蓄積した結果、パフォーマンスに影響が出たり、場合によっては日常生活にも支障を来したりした場合に診断される病名です」(鳥居教授、以下同)

病名の「オーバー」とは、その人にとっての許容量に対してトレーニングの量がオーバーしている状況のことだそう。では、この病にかかった場合、具体的にどういった症状が現れるのだろうか?

「代表的なのは、疲れやすさや、疲れが抜けないという症状です。診断の際には、朝起きたときの疲労の残り具合をひとつの目安にしています。その他にも、食欲低下、不眠、動悸、下痢、うつ状態など、人によってさまざまな症状を引き起こします」

このように、症状が多岐にわたり、しかも他の病気などでも起こる症状のためなかなか自分がオーバートレーニング症候群だと気付かないケースが多いのだという。実際にトップアスリートの中にも、不調の原因がわからないまま時間がたち、気付いた時には競技を長期離脱しなければならないほど悪化していたケースもあるというから恐ろしい。

なぜ過度なトレーニングが体調不良を引き起こすのか?

なぜ、過度なトレーニングがこうしたさまざまな不調を引き起こすのか。それにはストレスが影響していると鳥居教授は言う。

「トレーニングによる負荷は、体にとってストレスになりますが、それは脳で受け止められます。ホルモンや自律神経の調整をする視床下部でストレスが受け止められ、そこから末梢へ影響が及んでいきます。たとえば甲状腺や副腎といった、いろんな内分泌臓器に強い影響が出る人もいますし、自律神経系に強い刺激が出る人もいるので、症状も多岐にわたるわけです」

このように人によって症状がさまざまであることが、自覚することを難しく、また医療機関での診断を困難にしている。

「たとえば貧血だったら、血液検査で、赤血球やヘモグロビンの数値を調べることで明確に診断することができます。肝機能障害も、肝臓の酵素の値を調べることで検査ができます。しかし、オーバートレーニング症候群は、通常の検査の値ではわからないため、診断するのが難しいと言えます。そのため診断には他の病気の可能性を検査で否定し、症状などを聞いて最終的に判断するということになります」

オーバートレーニング症候群の対処法と予防法

今年3月のワールド・ベースボール・クラシックでも大活躍をしたMLBエンゼルスの大谷翔平選手も睡眠を大切にしていて、インタビューでは「(睡眠の)質はその次。まずは量を確保する」ことが大切だと答えている。大谷選手ほどになれば練習量も多いはずだが、練習量が多ければそれに比例して休養も必要だと鳥居教授。

「スポーツをしている人にとって休養は本当に必要なことです。体はもちろんですが、脳を休ませることも大切なんですね。トレーニング中というのは脳が緊張状態にあるので、その緊張から脳を開放してあげる時間が必要です。どれくらい休みが必要かというのも個人差がありますが、ジュニア選手の統計を見ると1週間に2日の休みを取ると、心身がリフレッシュしてオーバートレーニングにはなりづらいだろうと考えられます」

トレーニングをしたら、その運動量で失われたエネルギーを摂取し、それに比例した休養をとることで心身のバランスは保たれる。これが崩れると不調となって現れてくるというわけだ。

「従来、持久系競技の女子選手はトレーニング量が多いため『無月経』『骨粗鬆症』『摂食障害』という症状が現れやすいと言われていました。この3主徴をFemale Athlete Triadと言うんですが、研究が進んだことにより、女子選手だけの問題ではないということが分かってきました。食事などによる摂取エネルギーからトレーニングによる消費エネルギーを引いて、余ったものが余剰エネルギーとなるわけですが、それが不足すると心身に不調をきたします。ですから、最近では『RED-S(レッズ、Relative Energy Deficiency in Sport)』、つまり『スポーツにおける相対的エネルギー欠乏』という言葉に集約されるようになりました。エネルギーが欠乏することによって、視床下部からのホルモン分泌が低下することが、さまざまな症状を引き起こすわけですが、まさにオーバートレーニング症候群と同じことで、そのメカニズムは共通であると考えられます」

いずれの場合も、許容量を超えたトレーニングは、人間の生存の危機さえ招きかねないのだ。

責任感の強い人ほどなりやすい?

同じようなトレーニングをしていてもオーバートレーニング症候群になる人とならない人がいる。それにはもともとの性格や、置かれた環境なども影響するそうだ。

「責任感が強い人、あるいはチームのエースだったり、キャプテンのような立場にいる人は『疲れた』『休みたい』とはなかなか言い出せない。それでついついやり過ぎて気付いたらオーバートレーニングになっていたということは結構あるんじゃないでしょうか」

トップアスリートになればなるほど、自分の限界を見極めようと許容量ギリギリのところでトレーニングをしている。そんな中で、オーバートレーニング症候群にならないためにはどうしたらいいのだろうか。

「今やっているトレーニングの量やスケジュールが、本当に自分にとってベストかどうかを考えるというのは非常に大切です。チームメイトはみんなやっているんだからと他人と比較して頑張りすぎないこと。自分の疲労感をきちんと否定せずにきちんと認めて、疲れたと思ったら休養をとってほしいですね」

また他人との比較だけでなく、自分自身にも、調子のいい時と悪い時、あるいは若い頃は簡単にできたことが、年齢を重ねるごとに辛くなるということもある。アスリートはそうした自分の体の声を素直に聞くこと、そして指導者も個々の許容量を把握して、適切な量のトレーニングをさせることが、オーバートレーニング症候群の予防に繋がるという。


鳥居教授によると、日本の選手はトレーニングを休むことに罪悪感や不安を抱きやすい傾向にあるという。しかし、一度オーバートレーニング症候群になってしまうと、特効薬や、これといった明確な治療方法がないため、完治するまでには時間がかかり、中には数年単位で治療が必要になる場合もあるそうだ。昔は「トレーニングを1日休むと元に戻すのに3日かかる」などということがまことしやかに言われたが、今はそうではない。「休養もトレーニングのうち」という意識が、選手はもちろん指導者の間にも浸透することが、トップアスリートを生み出す重要なカギとなるのではないだろうか。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock

PROFILE 鳥居 俊(とりい すぐる) 
早稲田大学スポーツ科学学術院教授。1983年東京大学医学部卒、同大学整形外科学教室入局。静岡厚生病院、都立豊島病院、虎の門病院、東大病院助手を経て、東芝林間病院整形外科医長。1998年4月より早稲田大学人間科学部スポーツ科学科助教授。
スポーツ整形外科、発育発達学。運動器の発育発達、運動器障害の予防、身体活動と骨代謝、身体活動による健康増進をテーマとして、研究・指導を行っている。日本スポーツ協会公認スポーツドクター、日本陸上競技連盟医事委員。早稲田大学米式蹴球部チームドクター。

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