視覚障がい者マラソン・道下美里 チームで目指す東京パラリンピック

視覚障がい者マラソン・道下美里   チームで目指す東京パラリンピック
2018.07.13.FRI 公開

2016年のリオパラリンピックで初めて実施された視覚障がい者の女子マラソンで、銀メダルに輝いた道下美里。その後、2017年の防府読売マラソンで2時間56分14秒の世界新記録(T12クラス)を樹立し、今年4月には「ロンドンマラソン兼2018World Para Athleticsマラソンワールドカップ」で2連覇を達成した。
身長144㎝の小さな体と笑顔の裏に秘めた金メダルへの強い思い、そして世界記録保持者を支えるチームの存在、「思い通りの練習ができている今がすごく幸せ」という道下の言葉を聞いた。

リオパラリンピックのメダルセレモニーで笑顔を見せる ©X-1

東京パラリンピック挑戦を決めた家族の言葉

炎天下のレースとなったリオパラリンピックでは、先頭を走るスペインの選手に追いつくことができず2位に。銀メダルを手に表彰台に立ち、応援に来ていた家族や仲間に笑顔で手を振った。だが、目指すものは金メダルだった。道下は帰国後、自身に向き合った。

道下 美里(以下、道下)  リオでは、自分のやりたかったレースができませんでした。トップの選手を追いかけ、ラストスパートで追い抜く展開を思い描いていたのですが、実際はどんどん差が開いていきました。暑い中での練習はものすごくやってきたので、思い通りのレースできなかったのが悔しくて。
帰国して改めて振り返ってみると、終盤にペースアップできなかった一因は、大会直前まで練習量を落とせなかったところにありました。「初めてのパラリンピックだからやれることはやりたい」という思いが強すぎたからだと思います。普段一緒に練習している伴走者の方に聞いて振り返ったりもしましたが、私はリオに向けて気持ちが高ぶっていて冷静じゃなかったのかもしれません。

今でも悔しそうに語る道下を見ていると、“東京パラリンピックでリベンジして金メダル獲得”――そんなサクセスストーリーを期待せずにはいられない。

道下  リオのレース後、報道陣に「次の東京は?」と質問されました。正直なところ、2020年を目指すとなると、自分の意志だけでは決められません。家族や私の練習を支えてくれる「チーム道下」のみんなの協力なくしては挑戦できないからです。そしたら、記者の方が親切にも主人に聞きに行ってくれて「東京、OK」だと(笑)
その夜、応援に来てくれた人たちに慰労会をしてもらったのですが、その会で主人が「また2020年の東京の後にこのメンバーで集まりましょう!」とスピーチしちゃったんです。そんなわけで、東京を目指すことに決まりました(笑)

インタビューに応える道下

帰国後、すぐに再始動したという道下。この年はリオのメダル以外にもうひとつ、12月の防府読売マラソンで世界記録を塗り替えるという大きな目標があった。

道下 リオの後、休むという選択肢はありませんでした。やはり世界大会で評価されるのはメダルであり、リオではタイムより順位取りが大事だと考えていましたが、国内大会では市民ランナーと一緒に走ったりするので、タイムを狙いたいという思いが強いです。すぐに気持ちを切り替えて防府に臨みました。でも、パラリンピックの後は日々の雑務に追われていて。結局、世界記録は出せませんでした。

その翌年の2017年12月。道下は、防府読売マラソンで2時間56分14秒の世界新記録を打ち立てた。好タイムの秘訣はあの名曲だった。

道下  練習ができてなかったら不安になると思うんです。でも私には、練習できる環境、練習できる体がある。計画的に練習したうえで、レース当日を迎えているので、「どういうレースをやってやろうかな」という気持ちでスタートラインに立っています。練習できているから、レースが楽しくてしょうがないんです。

そして、「このペースで走りたい」というスピードに自分がハマったときに、同じペースで進めるように頭の中で音楽をかけ始めるんです。今のピッチには『ひょっこりひょうたん島』のリズムがぴったりで、壊れたテープレコーダーのようにひたすらサビを繰り返します。防府では後半、走りがリズムに乗り、安定してきたときに音楽が流れ始めました。次も世界記録更新を狙う予定ですが、もっとピッチが早くなれば選曲も変わるかもしれませんね。


世界記録保持者を支える人たち

2連覇を達成したマラソンワールドカップ © Getty Images Sport
2人の伴走者らチームで戦ったリオパラリンピックは銀メダル ©X-1

かつては他の視覚障がい者アスリートのように、伴走者探しに苦労した道下。2013年年末ごろからは練習拠点である福岡の大濠公園で出会った多くの仲間による「チーム道下」、加えて2016年春からは損害保険会社の三井住友海上に入社したことでスケジュール管理や取材対応などサポートの“目”が増えて、より練習に集中できるようになった。そんな彼女の原動力は走ることを通じて出会った人たちの存在だ。

道下 リオやロンドンで感じたことなのですが、周りが喜んでくれるってすごくうれしいですよね。レースを終えて、そのみんなの笑顔の中に飛び込める瞬間がすごい好きです。
それから、レース後に仲間と集まってご飯を食べたり、歌を歌ったりして盛り上がるのも好きです。練習のリフレッシュも、やはり走ることがついてくるんですが、合宿中においしいものを食べるとか、温泉に行くといった時間が楽しみ。軽いメニューの日には、大濠公園で出会った仲間と何時間も他愛のない話をして。人生の先輩たちは、私の相談ごとに対して「だからダメなんだよ」なんて言いつつ、必ず道しるべを示してくれます。

東京パラリンピックでは、持ち味の後半でライバルを振り切り、「金メダルを獲りたい」という道下。彼女には、レースで勝ちたいという目標とともに、かなえたい願いがふたつある。

道下 やっぱり大声援のなかで走りたい! それはずっと変わらない夢ですね。私たち視覚障がい者は、走るときに伴走者の指示を聞くのですが、セレクトリスニングといって自分の中でいま重要な音だけを聞き分けなきゃいけないんです。カーブが多くて忙しいときなんかは、沿道の声もまったくシャットアウト。だから、応援はできれば直線でお願いします(笑)。

私は、気持ちで走る選手です。「いける」、「できる」というようなポジティブな言葉で後押ししてもらえたら、すごくうれしい。東京では相手に翻弄されず、冷静にレースを支配したいです。ぜひ私が勝てると信じて声援を送ってもらえたらと思います。

東京パラリンピックへの思いを語る

道下 そして、金メダルを獲れたら、銀座のパレードでみんなと喜びを分かち合いたいです。リオの後も銀座のパレードがありましたが、あのときは一緒にメダルを獲った2人の伴走者は車に乗れなかったんです。大声援のなかで、「私の目」である伴走者さんがいなければ知り合いに手を振ることができません。もし可能なら、伴走者さんと一緒に皆さんに手を振ることができたらうれしいですね。


パラリンピックのメダリストになってから、毎日必ずと言っていいほど福岡の街で声をかけられるという道下。あるときから、小さな背中にかかる大きな期待さえも「すべて、すごく幸せなこと」と受け止められるようになったそうだ。そんな彼女が強い気持ちで走り抜く“金メダルへの道のり”に注目するのもまた面白い。

text by Asuka Senaga
photo by Tomohiko Sato

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