高校球児から日本パラカヌー界のエースへ・高木裕太の強い決意

高校球児から日本パラカヌー界のエースへ・高木裕太の強い決意
2020.03.13.FRI 公開

25歳を迎えたいまも野球少年だった頃の面影を色濃く残す。高校時代、4番として甲子園を目指していた高木裕太は、約2年で日本パラカヌー界の男子エースへと成長中だ。大学1年のとき、通学途中のバイク事故に遭ってから様々な競技にチャレンジし、いまカヌーで東京パラリンピックを見据える胸の内を尋ねた。

甲子園へ行けなかった悔しさも原動力に

高木が挑戦しているのは「KL1」と呼ばれるカヤック種目の障がいが重いクラス。200m先のフィニッシュラインに向けて一直線にパドルを漕ぐ。いかに早く辿りつけるかを競うスプリント種目だ。

高木裕太(以下、高木) もともと野球でキャッチャーをやっていたので、下半身が太く上半身は細かったんです。でも、いまはすっかり逆になりました。カヌーの冬場の練習では、手の皮が次々にめくれます。漕ぎ方を変えると、それまでは違った場所にマメができることも。まっすぐ進んでいれば、本来できない場所にマメができたりするので、「まだまだ下手やな」と思ったりもします(苦笑)。

高木がカヌーを始めたのは決して早くない。初めて競技を見たのは2016年11月。もともとスポーツが好きで、2013年11月に事故で胸から下が動かなくなったあとも車いすテニスやソフトボールに挑戦し、打ち込めるものを探してきた。車いすソフトボールでは日本代表も務めてきた。

高木 甲子園を目指して大阪から静岡の高校に野球留学したけど、県大会で2回戦負けだったんです。中途半端に終わってしまい、1回でいいから何かスポーツを最後までやり抜きたい気持ちがありました。2016年にはリオパラリンピックに出場した友人の話を聞いた影響もあって、パラリンピックに出たいと思うようになったんです。それからいろんな競技を見学するようになり、カヌーもその一つでした。

そして高木は最終的にカヌーを選ぶ。太陽の光や風を感じながら櫂(かい)を操り、水の上を地力で進むことに魅力を感じた。

高木 今までない感覚ですごく気持ちよかったんです。今から3年前の2017年1月にカヌーを始めると、どんどんパラリンピックに出たい気持ちも強くなっていきました。すると迷いも出てきて。事故後、大学を辞めて、インテリアデザインの専門学校で勉強して内定も決まっていましたが、もっとカヌーに挑戦したい、挑戦するなら今しかないと思うようになっていったんです。

世界と戦い、急成長を遂げている高木 photo by X-1

金メダルを獲るための長期プランを作成

高木には「やるからには金メダルが欲しい」という思いもあった。そこで残り2年間で出場権を得て、最終的に金メダルに到達するにはどうしたらいいか、長期プランを立てる。22歳だった高木がまず着手したのは、競技に専念できる環境を整えることだった。

高木 まず、内定していた会社に競技に専念できる「アスリート雇用」に切り替えられないか、相談したんです。でも、すぐには難しいとのことだったのでお詫びして内定をお断りし、現在の外資系の半導体メーカーにアスリートとして雇用してもらいました。雇用形態にはいくつか選択肢があり、僕は月に一度出社し、あとは毎日練習させてもらえる形を選びました。

同時に大会で成績を出すことも自分に求めた。まず国内大会で結果を残さなければ、世界の舞台はない。最初の大一番は2017年9月の日本選手権だった。ここで初優勝を果たす。

高木 このときはまだ日本代表のレベルではありませんでしたが、目標を考えれば、1位にならなあかんと思っていました。当時、2本レースがあって速い方のタイムをとる形式だったんですけど、1本目は負けてしまいました。そこで2本目はバランスをとるために艇に重りをつけて、安定させて頑張ったんです。

2018年3月には海外派遣選手最終選考会でも優勝。これで日本代表の座を勝ち取り、世界への道は拓けた。初の世界大会は、5月にハンガリーで行われたワールドカップ第1戦。タイムは69秒090で8位だった。優勝したイタリア選手は48秒051。圧倒的な差を突き付けられた。

高木 分かってはいましたが、世界の速さを感じました。ほんま課題は数えきれんなと。カヌーの基本技術は、ブレードというスプーンパドルでしっかり水をキャッチし、推進力に変えるんですけど、ブレードの角度などで水のつかみが変わる。シートに体をどう縛るか、荒れた水面にどう対応するかなど、考えなくちゃいけないことはたくさんありました。一つひとつ実戦で試してみないと分からないことばかりでした。

立ちはだかったのは経験値不足だ。しかし、それは織り込み済みでもあった。とくに課題だったパドルワークは、理想とする選手と自分の映像を見比べ、その差を埋めていった。

高木 世界の選手と戦うなら、彼らがどういう装備を使っているか、どういうすくい方をしているかなど、実際によく見て研究していきました。そこで得た課題から、どういうトレーニングするかも考えていく。2018年はどうやったらよくなるだろうと考える力が増し、観察する視点も増した1年でした。

すると当然、タイムは上昇する。カヌーは条件やコースによりタイムの異なる競技ではあるが、5月に69秒090だったタイムは、わずか4ヵ月で8秒縮まった。2019年世界選手権は準決勝で敗れ、上位6位までの国の選手に与えられる東京パラリンピックの出場枠は得られなかったが、タイムは60秒75で目標だった“60秒切り”は目前に迫った。

高木 公式大会ではなかなか60秒の壁を超えられないですね。練習では行けるときはあるんですけど。世界選手権で優勝した選手は45秒台なので、いまの僕は最低でも50秒台前半を出していかないといけない。そのためには、練習の数も大事ですが、やはり、しっかり水をつかまえる方法を考えることが大事。ただ最近、その正解がやっと分かってきた感じがあるんです。その感覚と、速いピッチで(パドルを)まわす力、200mを持続できる筋持久力をつければ、自然と速くなれる手応えがあります。

東京への切符を掴むチャンスは2020年5月にもある。ドイツでのワールドカップで上位4位に入れば、パラリンピックの出場が決まる。

高木 時間はわずかしかありません。冬場だと練習は午前と午後で10kmずつ漕いで、あとはウエイトトレーニングを入れていく感じです。限られた時間のなかで、しっかり考えて自力で出場枠をとりたいですね。そして日本で開かれるパラリンピックで活躍できたらと思っています。

text by Yoshimi Suzuki
photo by Masashi Yamada

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