アスレティックトレーナー岩倉瞳さんが期待する“マイナースポーツが集客で収入を得られる”未来

アスレティックトレーナー岩倉瞳さんが期待する“マイナースポーツが集客で収入を得られる”未来
2019.10.12.SAT 公開

10年前に車いすラグビーと出合い、当初はボランティアトレーナーとして短期間サポートを行った岩倉 瞳さん。その後健常者のサッカーチームやバスケットボール部チームなどさまざな競技の選手に関わる中で再び車いすラグビーと再会し、今では専任トレーナーとして日本代表強化チームのサポートを任されています。トレーナーという職業をとりまく時代の変遷から、“将来こうあったらいいな”と願う理想の展望までお聞きしました。

《前編はこちら(https://www.parasapo.tokyo/topics/21534)から》

<パラアスリートを支える女性たち Vol.08>
いわくら・ひとみ(35歳)
一般社団法人日本車いすラグビー連盟 
メディカル部会トレーナーリーダー、アンチ・ドーピング部会員、日本代表強化チームトレーナー

テレビで見たトレーナーに憧れてこの世界へ

━━そもそも岩倉さんはなぜ、トレーナーになろうと考えたんですか?

小学生のころからサッカーやソフトボール、フットサルをするのが大好きで、将来は選手になりたいと思っていました。でもだんだんと自分には選手としての才能はないんだなとわかってきて。一方でケガをした友達に絆創膏を貼ってあげるなど人のケアをすることも好きだったので、母にはよく「看護士になれば?」と言われていました。でも自分ではキャラ的に“私は白衣の天使ではないだろう”と思っていました(笑)。

そんな中、中学に入ってからふと、昔Jリーグ開幕当時にテレビで見たトレーナーの特集を思い出したんです。自分はスポーツ好きだし、トレーニングや食事指導を通して選手のフィジカルなケアをすることを仕事にできたらいいなと思い、それから将来の道として真剣に目指し始めました。トレーナーになるためにはどうすればいいのか情報収集をして、高校卒業後は迷わずスポーツ系の専門学校に進学しました。

横浜YMCAスポーツ専門学校では、同じ道を志す仲間や先輩、先生方との出会いがたくさんありましたね。学校に入ったことで知人から「自分がやっている社会人のフットサルチームでトレーナーをしてみない?」と誘われて初めて自分の現場をもつことができたり、専門学校の先生の紹介で神奈川県選抜女子サッカーU-18のトレーナーを経験できたり。現場での学びは、やはり座学や実習とは違います。将来は鍼灸マッサージの技術も併せもつトレーナーになろうと考えるようになり、卒業後は神奈川衛生専門学校に進学。在学中に治療院での勤務も始めました。

「筋肉が張っていたら、まずはじっくりゆるめます。選手の体調に合わせてトレーニングやストレッチ、鍼灸、マッサージと柔軟に展開しています」(岩倉さん)

多いときで年間10件前後の契約を抱えて、1週間毎日異なる現場へ通う日々

━━学生としてアスレティックトレーナーになる勉強をしながら、鍼灸マッサージの治療院でも働き始めたんですね。

院長は私のトレーナーの学生時代の指導者でもあり、私の師匠でもあるんです。そのことも働く理由でありきっかけでした。師匠はアスレティックトレーナーとして活動する中でやはり必要性を感じて鍼灸マッサージ師の国家資格を取得して、鍼灸マッサージの治療院を開業された方なんです。治療院設立の際に「手伝ってほしい」と声がけをいただいたのでトレーナー活動を主軸にしながら治療院勤務をし、私自身も24歳で国家資格を取得しました。

このあたりから「トレーナーができるなら、うちでもやってよ!」と、知り合った方から直接依頼をいただくことが増えてきました。私立女子高校サッカー部のトレーナーやラグビー神奈川県選抜国体少年の部のトレーナー、母校の神奈川衛生学園専門学校では実技助手や教務を兼任しました。

基本的に一企業に就職したり競技をひとつに絞りたくはなかったので、多いときで年間10件前後の契約を抱えて1週間毎日違う場所に通っていました。合宿や大会サポートを依頼されるスポット契約を4〜5年継続して受託したこともありました。スケジューリングもすべて自分でやりくりしました。

“これはもう、ご縁があるんだ”と感じて、車いすラグビーのサポートを再開

━━28歳から車いすラグビー日本代表強化チームのトレーナーを始めたいきさつについても教えてください。

実は25歳で車いすラグビーチームのトレーナーを始めたとき、1度サポートを辞めさせていただいた経緯があります。当時はまだ障がい者スポーツのトレーナーはボランティアでやっている方が多い時代だったんですね。私もボランティア参加でした。

でもトレーナーの師匠からは常々「後輩たちのためにも、ボランティアでしてはいけない」と言われていました。「トレーナーを職業として社会に認知してもらうためにも、ボランティアでしないというのは大切なことだ」と、そのようにも言われてきました。徐々に1週間毎日仕事で埋まるようになった時期に、生活のためにも、契約先のためにも、トレーナー業界のためにもと、後ろ髪を引かれる思いで1度チームから離れさせてもらったのです。

それでも“いつか車いすラグビーにもう一度関わりたい”気持ちがあり、28歳で障がい者スポーツトレーナー資格を取得しました。そんな時期にたまたま、車いすラグビー日本代表強化チームのサポートをしていた先輩から、ロンドン大会後のスタッフ入れ替えのタイミングで私に声がかかりました。「これまでいろいろな現場を共にしてきた岩倉が一緒にやってくれるならぜひお願いしたい」と言われて、“ああ、これはもう縁だな”と。もう一度ボランティアスタッフになることを覚悟してお引き受けしたのです。

しかし、当時の日本代表チームは選手もスタッフも自腹で何十万円も出して遠征や合宿を行っていました。私は職業をアスレティックトレーナーとしている限り、自腹で遠征に参加するつもりはありませんでした。

ところが、まさにロンドン大会で日本代表が初めて4位入賞を果たした努力のおかげで強化費が増額されたのです。国内外の遠征も自腹参加しなくて大丈夫になり、晴れて“ボランティアではあるが、支出が無いことで全力で打ち込める”と思えたのはうれしかったですね。これは本当に2012ロンドン大会で活躍された皆さんの努力のおかげです。自分が日の丸をつけて海外で仕事をするとは思っていなかったので、初めてのデンマーク帯同も印象深かったです。

━━帯同された2016年のリオ大会では、日本代表が初のメダル獲得を実現しましたね。

代表トレーナーを務めて4年の活動の中で最も思い出深く、自分の人生で一番の大舞台でした。日本車いすラグビー史上初のパラリンピックでのメダル獲得の瞬間、大の大人たちがうれしさのあまりそろって号泣しました。本当に大きな喜びであり感動でした。

またメダルがかかった試合の直前にみんなでロッカールームで見た、国内全チームの選手やスタッフによるサプライズの応援ムービーも印象的でした。“このチームにはこんなにも多くの仲間がいるんだ”と心の奥から感動と感謝がこみあげてきて、あれも忘れられない感覚です。小さな団体だからこそのファミリー感あふれる光景だったと思います。

「リオ大会では“今、地球の裏側で日本代表の試合を楽しみに見ている人たちがいる”ことが感じられて、鳥肌が立ちました」(岩倉さん)

欧米のように、マイナースポーツがエンタメのひとつになる日が来るまで

━━いよいよ東京2020大会まで1年を切りましたが、今どんな思いがありますか?

中にいると“2020年に向けて盛り上がっている!”と勘違いしがちですが、世間的にはまだまだ認知度が低いのがパラスポーツです。たとえば講演会で、トレーナーや鍼灸マッサージ師の立場で車いすラグビーのお話をさせていただく機会は増えています。でも悲しいかな会場で「みなさん、車いすラグビーを知っていますか?」と聞いても、来ている学生さんや社会人の方、鍼灸治療の業界人の方々もほぼご存知ないんです(苦笑)。

そんなときは百聞は一見にしかずで、動画を見てもらいます。私自身、第一印象でカッコいいと思えた経験があるので、10人いたら少なからずひとりやふたりは同じように感じてくれるのではないだろうかと毎回期待して上映しているんです。

東京2020大会の祭典をきっかけにパラスポーツやオリンピックのマイナー競技の知名度が上がって、マイナースポーツ全体が集客による収入を得られるようになって欲しいと願っています。それは3年前、イギリスに車いすラグビーの大会で行ったときにも感じました。現地の会場にはビールサーバーが置いてあって大人たちはビールを飲み、子どもたちはポップコーンを食べながら楽しそうに大会を盛り上げてくれている。それを見て“ああ。スポーツ先進国だけあって、日本とは本当に全然違うんだな”と。

いつか日本でも、パラスポーツを代表とするマイナースポーツが2000〜3000円なりの観戦チケット代をとってもちゃんとお客さんがたくさん集まるような変化が訪れて欲しいですね。アルコールを片手に、車いすラグビー日本選手権や日本代表の試合をエンターテインメントとして楽しめるような未来。今はただ次のステップを見据え、新たなフェーズがやって来る日に備えて今自分がすべきことを頑張ろうと思っています。まずは東京2020パラリンピック。金メダルに向けて、チームと共に努力するのみです。

「支える側の人間として常に健康であるように、遠征帯同時はもりもり食べ(笑)、保温や加湿に留意して過ごしています」(岩倉さん)
「遠征で訪れることの多いカナダで日本代表を応援してくれる現地ママさんからいただいたアロマスプレー(左)は安眠のお守りです。暑い時期にはお風呂にハッカ油(右)も欠かしません」(岩倉さん)

text by Mayumi Tanihata
photo by Yuki Maita(NOSTY)

一般社団法人日本車いすラグビー連盟
https://jwrf.jp/
*競技用車いすに乗ることができる体験会は随時開催

車いすラグビーについて詳しくはこちら

*今後の主な大会
2019年10月16日 ~ 20日 車いすラグビーワールドチャレンジ2019(東京体育館)

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